2018年03月04日

鳥、うたう。

昨日は暖かい一日。春はもうすぐそこまで来ているのでしょう。
厨房にいると先々週あたりから、まだ真っ暗な早朝お店に入ると「あっ、ちょっと違うな」という気配があるもので、それが先週は「違う違う」。そして昨日は生地の分割の最中に戸外で鳥の鳴き声が。まだ遠慮がちですが、それでもかすかにチリチリと。カードを持つ手が止まり、耳をすまして「ほらっ」、生地の冷たさを忘れさせてくれる、そんな温かい唄声なのですが、しかし昨日は大失敗。バゲットをオーブンに放り込む時、例の手製のスリップピールの放り込む瞬間のその刹那、なにを思ったかためらい傷、引きが一瞬止まってバゲット生地がひっくり返り、ウワッっと大慌て、鉄板から落っこちそうな生地をシェフが果敢に火傷の危険をものともせず、手袋で引っ張りあげてその間炉内の温度はさがるさがる。うわああああああ!
これがほんの一二三秒のことなのですが、あゝ、春はまだ遠い。そう実感されるこの一瞬のドラマ。うっ〜〜!

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壱引く壱はゼロ。
ふうっとため息。そんな悲喜劇のパン・オ・ヌフですが、ありがたいことに今週もたくさんの方に来ていただき感謝感謝の毎日ですが、今週はこんなパンがカムバック。「シェーン、カンバック!」ってヤツですな。

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クリスマス・シュトレンはクリスマスだけじゃない。シュトレンを菓子パンにアレンジしてこれはこれは「プチトランバター」を彷彿させる「プチバトー・シュトレン」の登場です。不定期に登場する月光仮面。白いマントに身を包み、ヌフフふ。

プチバトー・シュトレン.jpg

閑話休題。昨日はバゲットの製造に失敗した教訓を噛みしめて、バゲット作りの大改革に乗り出すことにしました。ジャン。
それは何かと言うと、じつは生地の分割と成形に機械を導入することにしたのです。ジャジャン!
まずは発酵させた生地をテーブルにあげてシェフとふたりでバゲット生地なら250gに分割して、これを20センチ程度の長さにまとめて一旦寝かせてベンチタイムを取り、じつはこのときの生地の状態がその後の成形に大きく影響するのです。20センチのベタ生地はけっして均等に20センチの全長の中に生地の塊があるわけではなく、真ん中が微妙に痩せていたり、端がびみょうに膨らんでいたり、そしてそれは生地が生地だけに、バゲット生地は水分が多いのでもう修正がほとんど不可能なのです。その不均衡なだらっと「のび太」カタマリを40センチ近くにまで一生懸命均等に伸ばして伸ばしてええいこれでもかっと成形、そしてオーブンへ。
見目麗しいバゲットは、分割時に八割がた決まってしまう。後戻りはできない。では大きなパン屋さんはどうするかというと、この工程をほとんど機械(モルダーという分割機)でやり過ごしてしまうのですが、パリの下町の黄昏時の、裏道を一本脇にはいった家内制手工業のパン・オ・ヌフにそんな余裕も資金もなく、機械の導入は夢のまた夢。
しかし。
そんな時こそパン・オ・ヌフ。機械を買う余裕がないのなら作ればいい!おいおいおい。(笑笑)
作っちゃいました。パン・オ・ヌフ。爆笑やれないことはないパン・オ・ヌフ。子作りからパンづくりまで。機械の導入もへっちゃらさ。うんとうんと単純化して、こんな風に作ればいい。さて其の結果や如何に?
マシーンの大公開は来週まで、乞うご期待!バカは死にゃにゃキャ治らない。

そんな私たちですが、「プチバトー・シュトレン」を作ることになったのには、じつは、訳があります。その訳は、ごめんなさい、ナイショですが、ラブ・マイナス・ゼロ。愛から引き算はできないというお話。

さてボブ・ディランです。ディランの名曲は多すぎてとてもご紹介などできない。love minus zero.



ウォーカー・ブラザーズは大好きですが、それでも本家はこちらこそ。💁‍♂️ バレンタインも彼女を買うことはできない。( タバコに火をつけているのは懐かしのドノヴァンです。懐かしい人には、ですが、)





ようこそ、ホワイトデイにはまだ間に合う。ヌフの「プチバトー」を貴女にも、メルシー!

※追記です。

「彼女はまるで沈黙のように話しだす。」この出だしですでにうっとり。
「10セントストアやバス停で人は状況について語り、本を読み、引用を繰り返し、結論を壁に書く」
もう堪りませんよね、少年のわたしはこれだけでノックダウン。そしてラストは、
「風はハンマーのように吠え、夜はつめたく雨も降る。彼女はまるで大鴉のように、わたしの窓辺に疲れた羽を休ませる。」ハイ、座布団3枚‼️




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posted by dady at 10:37| 神奈川 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月22日

あなた、変わりはないですか?

日ごと寒さが募ります。こんな寒い日には、厚手のセーターを着こんで、いやあ今日は寒いですね。

先週は売れ残ったベベを薄〜くスライスしてラップで包みすぐに冷凍庫へ。(ベベを保存するときは必ず薄くスライスして一枚ずつ冷凍庫へ入れてください。ホールで保存すると食べるときにナイフで切るのが手間ですから)
べべは結構食べがいのあるパンでヴォリュームもあるので、1200円は高いと思われるかもしれませんがご夫婦二人で優に四食分はあります。私はオリーブオイルにつけて食べるのが大好きですが❤️、家内はなんにもつけずに食べます。なんとかこのべべをヒット商品にさせたいと思うのですが現実は厳しいですね。なかなか売れない。それでもしつこくアッピールを繰り返すのも当店のパンで私はこれがいちばん旨いと思うからです。
もちろん人それぞれですからパン・ドゥ・ミを愛してくれる方もバゲットを愛してくれる方も私たちにはこれほどありがたいことはありません。
しかし、それでも、べべを一押しするのはそれなりに理由があります。それは、こんな寒い日には、温かいシチューに、スライスしたベベを食す。これはサイコーの贅沢なのです。白ワインがあればなお良い。そして、食後に都はるみを聴くとさらに良い。



カンパーニュに白ワイン、「道頓堀川」が心にしみる。
しかし、昔は良かったと懐古趣味に走るわけではないのですが、それにしても昔の歌は良かった。何が良かったと言って、やはりその歌の詩が素晴らしいんですね。今時の歌の何がダメかといえば、詩がダメなんです。言葉がメロディーにのっていない。言葉を極限まで吟味して、もうこれしかない、あらゆる言葉の中からただひとつの、これを置いて他にないという言葉を紡ぎ出す執念にかけている。あまりにも安易に言葉を置いていく、その無頓着さ。「誰でも一分間なら有名人になれる」、と言ったのはアンディー・ウォーホールでしたが、誰でも一分間なら詩人になれる。しかし、だからと言って本物の詩人になれるわけじゃない。言葉と格闘できないシロートがあまりにも安易に歌を作る。

まさかCDが、音楽が、歌が必要とされない時代が来るとは思いませんでした。周りを見ればスマホがある。ネットショッピングがある。歌なんか聞かなくてもスマホで遊んでいれば十分に楽しいんだと言わんばかり。音楽だけではなく、映画だって、小説だって、絵画だって、もう必要ないんですね。またいわゆるこうした芸術が成立する個人の心の闇が消えてしまった。無いわけではなく、心の闇と向かい合う精神が消えてしまった。ネット社会が全てに光を当てて、光の裏側まであっけらかんとして、身悶えするような闇が消えてしまった。
私たちはついに癒されることがなくなってしまったのです。
だからと言って幸せだとは思えない。不幸が消えると幸福も消える。

今年に入って一月でしたが、クランベリーズのドロレス・オリオーダンが亡くなりました。アイルランドでは国を挙げて彼女の死を悼んだとか。日本ではあまり馴染みがない歌手ですが、彼女を偲んでこんな歌を。




ようこそパン・オ・ヌフの豊かな世界へ



posted by dady at 20:44| 神奈川 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月13日

ペーパーバック・ライター

毎日いろんなメールが来るものですが、ほとんどは迷惑メール。まとめてゴミ箱に直行ですが、そうは言っても気になるメールもあるもので、件名だけでも斜め読み、時々オッと目が止まるとやっぱり開いちゃったりして。
そんなメールがHMVから。なになに?と文面を見る前に写真がビートルズ、その写真がなんと懐かしいその昔の「ペーパーバック・ライター」のシングル盤のジャケット写真の別バージョンだったのです。同じ時に撮った一連の写真の一枚なのでしょうがこのジャケ写のシャッター違いは初めてでした。

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ビートルズのレコードでは何と言っても懐かしい三枚が「抱きしめたい」「「ロックンロールミュージック」そしてこの「ペーパーバック・ライター」。
ビートルズが来日した当時、まさにその夏のヒット曲がこの「ペーパーバック・ライター」でした。ああ、本当によく聴いたなあ。赤いレコード盤が擦り切れるくらい何度もなんども繰り返し繰り返し聞きました。もうそれこそ血肉となって体内に流れている、それくらい聞きました。その後はもちろんもう何十年も聞くこともなく、たまにCDで聞くくらいでふ〜ん、こんなもんかな、とちょっぴり鼻白んだりして思い出は思い出さ。

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このジャケ写の別バージョンを見るまではレコード盤を取り出すこともなかったのですが、ちょっと懐かしくなってターンテーブルに載せてみると、「おっ!」違うっ!違うじゃないか。何が違うって、この音の塊の迫力が全然違う。CDで聞き慣れた音は美しく、まるで去勢されたようなビートルズですがこのレコード盤のビートルズは明らかに違う。ポールの出だしのボーカルの二重奏から違う。そこにいきなりギターが被さるように炸裂するそのギターの音が違う。ミキシングの違いではなく、四人がレコーディングに臨むその心構えがレコードを通して伝わって来る。
ああ、そうなんだ、これがビートルズなんだ。えっ?もしかしたら、これも?
「ロックンロールミュージック」
違う!違うぞ!レコード盤の迫力はCDでは聞こえないジョンの力強いボーカル、息遣い、ピアノの連弾の鍵盤を叩く手首の痺れまでが伝わるようで、ジョンの熱唱が後半に来ていかにもさあクライマックスだぞ、あと一踏ん張り、頑張れと自分を鼓舞するような、そんな心の鼓動までが聞こえてくるのです。歌い終わってふう〜っとジョンが肩で息をつく、そこまで聞こえてくるようなレコード盤の熱唱は、そうなんだ、これがビートルズだったんだ。CDの夾雑音を排除したひたすらクリーンな美しい音からは伝わらない、私たちが熱狂したビートルズはこれだったんだ。と、今更ながらに納得する。

あれから長い歳月が流れたけれど、レコード盤のビートルズは、今もあの時代の熱狂を伝えてくれる。
もうCDは聞かない。


posted by dady at 23:32| 神奈川 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする