2019年11月10日

お別れにあたって

長い間か短い間だったかはともかくとして、このブログを書きながらいつも自問していたことは、パンってなんだろう?
「人はパンのみに生きるに非ず。」
パンに罪はないけれど、人は衣食足りて生きる意味を問い直すものです。パンとお米には深い相関関係があります。私たち日本人がお米に殊の外精神性を探るように、パンもまた、その神秘の泉は尽きることがなく、毎度のことではあるけれど、パンを作りながらその奥深い神秘性に心を打たれることがなんどもありました。
思い通りにいかない。何度作ってもそのたびに違う。何が違うのか、違わないのか?菓子パンは変わりません。言い切るのは恥ずかしいのですが、菓子パンは具がすべて。具が美味しければ美味しいほどパン生地は片隅に追いやられてしまう。プレーンで勝負するほど無慈悲なものはありません。しかし、そこにこそパンの奥行きがあるのですね。生地の奥行き。水の加減。塩の加減。窯の温度。それらを司る作り手の心の在り処。
冬の厨房の冷え切った生地を扱う刹那、何度か、その一瞬に、神が降りたような瞬間があるものです。大げさかもしれませんが、下手は下手なりに神様は見ているのでしょう。
今振り返ると、あっ、これだ、というその一瞬。成形までは完璧だったのに、焼き上がった窯から出した瞬間に打ちのめされる。
何故だっ!
その繰り返しの6年間でした。うん。これだ。と思えたのは数えるほどでした。いつも売り場に立って、心ならずのパンを売ることは辛かった。
しかし、不思議なことに、気負いもなく、無造作に作ったパンが思いの外美味しくて、こんな美味しいパンがあるのかと心が震えたことも一度ではありません。フリュイも、パン・ペイザンも、試作段階でこんなに感動したパンはありません。
おかげさまっで私たちが作り上げたパンは何種類かの定番を除いてどれもオリジナルでした。恐らくは四十種類以上のオリジナルのパンを作り上げたのですがそのどれもが今は懐かしく、全ては絵に描いた餅となってしまいますが。
新しいパンを考えるのはほんとうに楽しかったですね。
袖触れ合うも他生の縁。そんな私達のパンが皆様の心に残ってくれたとすればありがたいのですが。

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パン・ペイザン





posted by dady at 21:52| 神奈川 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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