2016年10月16日

格闘技世界一

もう半世紀近い大昔、今は亡きモハメド・アリと今もなをお元気なアントニオ猪木が後楽園で死闘を?繰り広げたあの伝説の退屈な大一番。ボクシングとプロレスという似ても似つかぬ格闘技をひとつだけ共通項がある四角いリングで無理やり戦うのを見るのは、あえて言えば悪趣味か?冗談か?だって、ねえ、では空手と相撲取りが戦って、押し出しと言われても空手家は納得できないでしょう。

世間には悪い冗談というものがあるもので、トランプさんとヒラリーさんの闘いも次元の低い田舎の村長選挙のようでアメリカ国民は本当にかわいそうだなあ、と、しみじみ思います。もしも、もしもこれが我が国の選挙だったらと考えてみてください。憤りを通り越して絶望でトチ狂ってしまうでしょう。涙以外の何者でもない。
どちらにしても私たちが選挙に行くわけではないのですが、アメリカの大統領職というのはいったいなんなんでしょう?と、真面目に考えると頭が痛くなってくる。
あのビルさん。善人を絵に描いたようなイケメン大統領が口もはばかるような犯罪者?その奥方のヒラリーさんは、忘れたくても忘れられないある映像が頭のなかから抜けないのです。
それはリビアのカダフィ大佐が例の「アラブの春」というわけのわからない熱狂の中で殺された時の映像が、そのニュースを見るヒラリーさんが心の底から嬉しそうに笑っていたあの映像が。

思想信条が異なるどのような人であれ、その人が殺される映像を見て笑う、という神経がわからない。

「丘の上の住人になりたかったら、まず殺しをやりながら笑えるようにならなきゃいけない」と歌ったのはあのボボ・ブラジル🇧🇷?じゃなかったボブさんのお友だちでしたね。(笑)

そのボブさんにノーベル文学賞だそうです。ご愁傷様。アルベール・カミュが酒場で歌を唄えばグラミー賞が貰えるかもしれないという話?それってやっぱり、「異邦人」を唄うのかしら?
さてしかし、垣根は取り払われた方が良いのでしょうか?垣根がなくて隣の家へズカズカと上り込むのは友情の証でしょうか?ボブさんが押し出したわけじゃない。押し出された作家がいるわけじゃなし。
しかし?と、ノーベル賞には縁もゆかりもないわたしだって考えるのです。
これは幸せ、それとも不幸せ?

来年はブルース・スプリングスティーンがノーベル文学賞を取るでしょう。そして再来年は俺にもよこせとポールさんが取るかもしれない。なんだ、アメリカイギリスだけじゃ不公平だろう、とばかりにシャンソン界も黙ってはいない。すると、ひょっとすると、そのうち「大阪しぐれ」だってノーベル文学賞?それは、わたしたちの不幸の始まり?それとも、、、

学生時代、わたしだってディランのレコードを擦り切れるほどかけながら、彼の歌詞を狭い四畳半のアパートでくり返しくり返し大声あげてレコードといっしょになって追っかけで唄ったものでした。
となりの奴からうるさいと怒鳴られながら、ああ、貸間の壁はなんて薄いんだ。オレはなんて不幸せなんだろう。となりの垣根は、あった方がいい。(^_^)



ヤギにひかれた🐐パン・オ・ヌフ。


posted by dady at 06:00| 神奈川 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月07日

職人 寿司?

とある方が、寿司職人になるのに10年も修行するのはバカ。と発言して問題になったとか?卵を焼くのに三年なんてナンセンス、十年修行して適性がなかったら本人が悲劇だと。ふ〜む。そっか。そうだよね。卵に三年だもんね。これは、これはもっともらしい発言ですね。
んが、果たしてそうなんでしょうか?

日本の徒弟制度はとても不条理なのです。職人の修業に適正年月はありません。何年かかっても上達しない職人はとうぜんいるわけで、逆に一年でマスターする器用な人間もいるでしょうね。
✖︎✖︎エモンは東大出の優秀な方でしょうから呑み込みは早く、何をやらせてもそつなくこなすのかもしれませんが、職人の世界は違います。職人は、優秀な人間が目指す世界ではないのです。名も知れず、倦まず弛まずコツコツと、のろのろと、気がつけばやっと半歩、それでも昨日よりはマシかも知れない。卵を焼くのに三年かけて何が違うのか?違わないかもしれない。でも、違うかもしれない。優秀な人間は違わないと結論づけるのでしょうが、バカな職人は、ひょっとして、と考えるのです。
十年修業して、適性がわかるかどうかが問題ではなく、十年かければもう後戻りはできない、もう俺の行く道はここしかない、凡百の、取り柄のないオレの人生がここにしかない、でもこれなら食べていける。株で大儲けはできないかもしれないけれど、濡れ手に泡は絡みつかないかもしれないけれど、でも、一家四人は食べさせていける、と、その程度のことに気づかせてくれる長い長い修業の年月なのです。なんの取り柄もない農家の小せがれが、それでも真っ当に生きて行くために手に職をつけるというはるかな道が職人の世界なのです。
そうしてたどり着く世界がある。名人とはとても呼ばれないけれど、けれども、巨匠にはなれないかもしれないけれども、誰にも極めることができない彼一人だけの世界がある、かもしれない。そう、もちろん何にもないかもしれないけれど。

世の中は不条理なのです。十年修行を重ねれば、そんな不条理を跳ね返す、そのていどの「かくご」はつくのかもしれない。バカも捨てたもんじゃない。


ようこそヌフの独り言の世界へ


posted by dady at 13:15| 神奈川 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月03日

じゅうがつ。

十九歳十月。窓から旅立ち、壁でザビエルも、ベッドで千代紙も、啼いた。

こころ騒ぐ十月。長い夏期休暇も終わり、もちろん個人的にはちっとも休暇ではなく、厳しい夏の陽射しに目白押しの仕事仕事に、いやあ、疲れました。そして気がつけば十月。お約束のヌフの再開も、残念なことに、なかなか実現しそうにありません。

大変申し訳ないのですが、年内の再開は難しい。しかし、こんな調子では一体誰が待っててくれるのやら、皆様の期待を裏切って(期待されているのかしら?)申し訳ないのですが、当分わたしの仕事にまったくの余裕がなく、シェフにも申し訳ないことですが、いつの日にか再開をお約束して今はジッと雌伏の時。
いつとは申せませんが、気まぐれと言われるかもしれませんが、告知もなしに突発的な再開はあると思います。その時は全力でパンを作ります。通りかかったときに表にヌフの旗がひらめいていたら、どうぞ冷やかしにでもお立ち寄りください。私たちの好きなパンだけをお作りしてみなさまのお越しをお待ちしております。

もうほんとうに好きなパンだけ🍞。とびっきりのパンだけ🍞。パン・ド・ミにバゲッドに、カンパーニュ・べべにそれに菓子パンだって、サンドイッチだって、カスクルートだって。なんだかとてもラヴのような気持ちでパンを作りたい🍞。

幸子の幸は何処にある。私たちのパンは何処にある?




ようこそ気まぐれなパン・オ・ヌフの世界へ



posted by dady at 00:53| 神奈川 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする